コラム:墨壺のかたち

日本では法隆寺の当初材に墨線が残っていることから、この頃にはすでに墨壺が用いられていたと考えられます。壺から、糸を巻取る部分を固定する二本の腕をだし、これに糸を巻取る車を取り付けるようにした形が原形のようです。これを「尻割れ型」と先学者は呼んでいます。

8世紀頃の兵庫県栄根遺跡から出土した墨壺は尻割れ型となっています。また東大寺の南大門から発見された中世のものと思われる「忘れものの墨壺」も尻割れ型です。

墨壺を用いてどのように墨付けするかは高度な知識と技術を要します。中世までは秘伝的に扱われたと考えられますが、大工技術が徐々に拡散するにつれ、尻割れ型から、くり抜いた部分に糸車を固定する箱型の墨壺やさらに彫り物を施した墨壺などが使われるようになったと考えられます。

また墨壺は他の大工道具と異なり、昔は大工が自ら製作していました。それゆえに大工のデザイン力や器用さが表れた唯一の道具ともいえます。



▲ 8世紀の墨壺 (複製、8世紀頃、兵庫県栄根遺跡)



▲ 東大寺南大門より発見の墨壺と墨さし (複製、13〜14世紀、奈良県東大寺)



▲ 各種の墨壷(1)[奥左より 広島型、三味線型、琵琶型。手前左より 源氏型、若葉型、舟型]



▲ 各種の墨壷(2)[奥左より 鯉型、鶴亀型、亀型。手前左より えび型、一文字型、準一文字型] ※ 形式名称は分類方法や地域で異なることがあります。

 
  • ※ 本ページの内容は『竹中大工道具館収蔵品目録第5号-墨掛定規類・罫引・錐篇-』の解説を抜粋したものです。
  • ※ 品名は、主に関西で用いられている道具名称を参考にして当館で用いられている統一名称によっています。地域や研究者によって道具の名称はことなることがあります

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