名を許す

鳥滸布(おこがましく)ながら 御上京お土産として右名進らせ候
御納め下されば本懐に御座候

 これは東京の道具鍛冶の名匠・初代千代鶴是秀師(明治7年生・昭和32年没)から、三木の鉋鍛冶・千代鶴貞秀さんへ送られた免許皆伝書ともいうべき「千代鶴」銘を許された証書である。
 千代鶴貞秀(本名・神吉義良、明治41年生)40才の時であった。貞秀さんは是秀師匠の内弟子ではない。若い時から苦労して修業に励むうちに、是秀の作品に接して、この人こそわが師と仰ぐ方だと、必死の思いで千代鶴家の門を叩き、作品を見てもらえるようになったとのこと。そして度重なる上京の末に、千代鶴を名乗ることを許されたのだ。
 それにしても、何と酒脱な免状であろうか。一芸に達した方のみが持つ心意気がよくうかがわれる。
 この道の名人といわれた方は、皆、古典を学び、書をよくし、絵を画き、詩歌を楽しみ、茶花の道をたしなむ方が多い。腕を磨くことは、芸を磨くことであったのだ。

 

この読み物は、当館の開館1年前(1983年)に大工道具館設立の意義を広く伝えることを目的に、元副館長・嘉来國夫ならびに元館長補佐・西村治一郎の2名が主となり、「道具・よもやま話」と題して竹中工務店社報(1983年発行)に連載したものを、改めてここに転載したものです。20年以上前の記述のため、古くなった内容もございますがご容赦下さい。

腕・刃物・砥石

親子鍛冶

無銘の作品

飯食(はんぐい)

名を許す

三木の千代鶴貞秀さん

消えた道具の町・伏見

前挽大鋸の終焉

気違いの遊び

千代鶴と江戸熊

木肌を愛する心

木を生かす